2010年02月23日
白石正三を偲ぶ会
今年の1月に亡くなった元全日本チャンピオン、元デビスカップ代表選手の
白石正三を偲ぶ会が京王プラザホテルで行われた。
白石との思い出を振り返ると、
俺が23歳の時に行ったアメリカ遠征を真っ先に思い出す。
俺は社会人1年生で坂本真一と一緒に、
白石はペパダインの学生として
メキシコのルイス・ペレスと一緒にツアーを回っていた。
俺と坂本は、初めての2人だけのアメリカ遠征で、何もかもが初体験。
ホテルの予約から、移動の飛行機の手配、試合会場へのコンタクト等、
全て自分でやっていかねばならず、英語が不自由であった我々にとって、
珍道中の嵐であったことを覚えている。
二つ目のトーナメントで 「日本人ではないのか?」
疑惑のプレーヤーに遭遇!
それが白石正三であり、最初の出会いであった。
どうやら白石はペパダインに留学していて
夏休みを使って、試合を回っているとのこと。
テニスの腕前はまだまだだったが、
体力があり、ストップボレーが上手かった。
俺達もお金を切り詰めて回らないと最後までツアーを回りきれないと思い、
4人一緒にツアーを回ることになり、
ノースキャロライナでボロボロなダッジというアメ車を500ドルで購入、
最後のトーナメント先のニュージャージーまで全ての交通手段を
この車でまかなった。
白石は、アメリカへ留学していた事と俺の4歳年下の後輩である事を理由に、
ややこしいこと一切を引き受けていた。
当時は一つ年下でも、上下関係があり、ラッキーだったかも・・・?
もちろん、先輩として俺も返したが!
とにかく、白石にとっても良き思い出として残っていると信じている。
いずれにせよ、当時無名だった白石正三が、
俺達との出会いで、何かが変わり、
日本に戻ってから何年か後に大化けしたのはテニス界の周知の事実だ。
俺のライバルの1人、テニス界の第一人者、福井烈も
一時は白石を苦手としていた。
でも俺は、どちらかというと白石は得意としていたな・・・(ちょっと自慢?)
白石が評価されるのは、高校時代、全く無名で単独でアメリカに渡り、
腕を磨き、デビスカッププレーヤーまで上り詰めたことだ。
残念にも、前立腺癌で51歳の若さでこの世を去ったが、
多くの人が会場に足を運び、別れを惜しんだ。
「こんなに若くて・・・!」と皆に惜しまれていた。
ところで、現役を終えてからの白石は幸せだったのだろか?
もっとテニス界は、選手の将来のことまで考えたトーナメント企画し、
態勢を作っていかなければならないのではないか?
「そんなメッセージを白石は伝えたいのでは?」とも思う。
正三お疲れさまでした!
白石正三を偲ぶ会が京王プラザホテルで行われた。
白石との思い出を振り返ると、
俺が23歳の時に行ったアメリカ遠征を真っ先に思い出す。
俺は社会人1年生で坂本真一と一緒に、
白石はペパダインの学生として
メキシコのルイス・ペレスと一緒にツアーを回っていた。
俺と坂本は、初めての2人だけのアメリカ遠征で、何もかもが初体験。
ホテルの予約から、移動の飛行機の手配、試合会場へのコンタクト等、
全て自分でやっていかねばならず、英語が不自由であった我々にとって、
珍道中の嵐であったことを覚えている。
二つ目のトーナメントで 「日本人ではないのか?」
疑惑のプレーヤーに遭遇!
それが白石正三であり、最初の出会いであった。
どうやら白石はペパダインに留学していて
夏休みを使って、試合を回っているとのこと。
テニスの腕前はまだまだだったが、
体力があり、ストップボレーが上手かった。
俺達もお金を切り詰めて回らないと最後までツアーを回りきれないと思い、
4人一緒にツアーを回ることになり、
ノースキャロライナでボロボロなダッジというアメ車を500ドルで購入、
最後のトーナメント先のニュージャージーまで全ての交通手段を
この車でまかなった。
白石は、アメリカへ留学していた事と俺の4歳年下の後輩である事を理由に、
ややこしいこと一切を引き受けていた。
当時は一つ年下でも、上下関係があり、ラッキーだったかも・・・?
もちろん、先輩として俺も返したが!
とにかく、白石にとっても良き思い出として残っていると信じている。
いずれにせよ、当時無名だった白石正三が、
俺達との出会いで、何かが変わり、
日本に戻ってから何年か後に大化けしたのはテニス界の周知の事実だ。
俺のライバルの1人、テニス界の第一人者、福井烈も
一時は白石を苦手としていた。
でも俺は、どちらかというと白石は得意としていたな・・・(ちょっと自慢?)
白石が評価されるのは、高校時代、全く無名で単独でアメリカに渡り、
腕を磨き、デビスカッププレーヤーまで上り詰めたことだ。
残念にも、前立腺癌で51歳の若さでこの世を去ったが、
多くの人が会場に足を運び、別れを惜しんだ。
「こんなに若くて・・・!」と皆に惜しまれていた。
ところで、現役を終えてからの白石は幸せだったのだろか?
もっとテニス界は、選手の将来のことまで考えたトーナメント企画し、
態勢を作っていかなければならないのではないか?
「そんなメッセージを白石は伝えたいのでは?」とも思う。
正三お疲れさまでした!