2011年02月02日
この一球は・・・
「この一球は・・・」から始まるこの有名な訓話は、
故早稲田大学の監督であられた福田雅ノ助先生が
早稲田大学庭球部員に送られたものである。
福田先生のお宅は早稲田大学の側、早稲田商店街の一角にあった。
先生は、毎日散歩がてら大隈小講堂の裏にあった
三神記念コート(当時6面あった庭球部のコート)に毎日来られ、
パイプを大事そうに口にあて部員のテニスを夕方まで見ておられた。
俺達は、先生に「マーちゃん」と勝手にあだ名をつけていた。
「今日はマーちゃん、俺のこと褒めてくれるかな?」と
思いながらやっていた。
(先生にテニスのことで言われたことは一度もなく、
マナーのことで叱られてばかりであった)
というのは、俺はマーちゃんの家の離れにある家を
部員2人と共に借りていたこともあり、
おじいちゃま的存在であったからかもしれない。
マーちゃんは、第1回目の全日本選手権のチャンピオンで、
もちろんデビスカップの代表選手でもあった。
その当時海外でポピュラーなグリップ、「イースタングリップ」を持ち帰り、
日本で広めたと聞いている。
当時の日本人は「ウエスタングリップ」で握っていたので、
センセーショナルなことであった、と想像される。
マーちゃんは、世界の一流プレーヤーに影響されたのだろう?きっと!
また、毎日新聞のスポーツ紙面にテニスの記事を掲載していらした。
「毎トー」の愛称で呼ばれている毎日トーナメントは
福田先生が作られたものだ。
そんな偉大な先生を「マーちゃん」と気安く呼ぶ俺は、本当に無礼者だ!
少し昔の話ななるが、
ウィンブルドンで松岡修造がベスト8に入る試合で、
大切なポイントで「これは絶対無二の一球なり・・・!」と叫んでいた。
松岡修造もマーちゃんの「この一球・・・」を大切にしてきたのか?と思う反面、
「おまえは慶応だから、
小泉先生の練習は不可能を可能にするだろうが!?」と
怒っていたのを思い出す。
俺の家の玄関に先生からいただいた直筆の「この一球」が飾ってある。
今日は何となく先生を思い出した!
故早稲田大学の監督であられた福田雅ノ助先生が
早稲田大学庭球部員に送られたものである。
福田先生のお宅は早稲田大学の側、早稲田商店街の一角にあった。
先生は、毎日散歩がてら大隈小講堂の裏にあった
三神記念コート(当時6面あった庭球部のコート)に毎日来られ、
パイプを大事そうに口にあて部員のテニスを夕方まで見ておられた。
俺達は、先生に「マーちゃん」と勝手にあだ名をつけていた。
「今日はマーちゃん、俺のこと褒めてくれるかな?」と
思いながらやっていた。
(先生にテニスのことで言われたことは一度もなく、
マナーのことで叱られてばかりであった)
というのは、俺はマーちゃんの家の離れにある家を
部員2人と共に借りていたこともあり、
おじいちゃま的存在であったからかもしれない。
マーちゃんは、第1回目の全日本選手権のチャンピオンで、
もちろんデビスカップの代表選手でもあった。
その当時海外でポピュラーなグリップ、「イースタングリップ」を持ち帰り、
日本で広めたと聞いている。
当時の日本人は「ウエスタングリップ」で握っていたので、
センセーショナルなことであった、と想像される。
マーちゃんは、世界の一流プレーヤーに影響されたのだろう?きっと!
また、毎日新聞のスポーツ紙面にテニスの記事を掲載していらした。
「毎トー」の愛称で呼ばれている毎日トーナメントは
福田先生が作られたものだ。
そんな偉大な先生を「マーちゃん」と気安く呼ぶ俺は、本当に無礼者だ!
少し昔の話ななるが、
ウィンブルドンで松岡修造がベスト8に入る試合で、
大切なポイントで「これは絶対無二の一球なり・・・!」と叫んでいた。
松岡修造もマーちゃんの「この一球・・・」を大切にしてきたのか?と思う反面、
「おまえは慶応だから、
小泉先生の練習は不可能を可能にするだろうが!?」と
怒っていたのを思い出す。
俺の家の玄関に先生からいただいた直筆の「この一球」が飾ってある。
今日は何となく先生を思い出した!