2010年02月21日
義父を偲んで
2月18日、18時2分に義父(家内の父)が他界した。
10年前に脳梗塞で倒れてから、ずっと家内の母が世話をしていた。
走る事が大好きだった義父にとって車椅子生活はたまらなかっただろうし、
寝たきりで動けない自分にもどかしさを感じていたに違いない。
また、医者であった義父さんは、
医者としての活動を最後まで全う出来なかった自分を後悔してたに違いない。
義父さんは昔の赤髭先生そのものであった。
義父さんを頼ってくるお金に困っている患者さんは、無料で診てあげていた。
困っている人に、施しぐせがある義父に対して
「そこまでしなくても!」と、周りは思っていたようだが・・・。
それ位、求めてくる人に対して面倒見が良かった。
また、自然治癒の観点から漢方のライセンスも取得し、
漢方を処方して患者さんに出していた。
「温泉と漢方」で人間が持つ治癒能力をアップさせ、
自の手で健康体を作ることを目指していた。
選手の頃、俺は大事な試合の前日に風邪を引いてしまった。
義父に診てもらったが、
「熱い風呂に入って寝ろ!」という言葉をもらっただけであった。
「それで大丈夫なの?治るの?」と首をかしげながら帰った事を覚えている。
結果はセーフ!!
試合には無事出場でき、優勝した。
マジックであった!
現在、風邪も引かずに仕事に没頭出来るのは、
まぎれもなく義父からのアドバイスのお陰だと思っている。
義父さんとはたくさん会話した覚えはなかったが、 (お互い忙し過ぎた)
俺を陰から黙って応援してくれているのを、事あるごとに感じていた。
「ありがとうございました!」
また、義父さんは、真の匠的な赤髭先生だった。
経営には全く無頓着であったと聞いている。
でも、そこが人間らしくて素晴らしいと思うけど・・・。
人にばかり施し過ぎて、遂に疲れちゃったのかも知れない?
だから、義母さんに甘えたくなったのかもね!
「10年と2ヵ月は、ちょっと甘え過ぎですよ!」
棺の中に安らかに眠っている義父さんを見ると何も言えなくなった。
最後にお義父さんに一つお願いがあります。
「10年もの間、献身的に看護してきたお義母さんをのんびりできるように、
見守ってあげて下さい!」。
そして、どうぞ「安らかにお休み下さい!」
10年前に脳梗塞で倒れてから、ずっと家内の母が世話をしていた。
走る事が大好きだった義父にとって車椅子生活はたまらなかっただろうし、
寝たきりで動けない自分にもどかしさを感じていたに違いない。
また、医者であった義父さんは、
医者としての活動を最後まで全う出来なかった自分を後悔してたに違いない。
義父さんは昔の赤髭先生そのものであった。
義父さんを頼ってくるお金に困っている患者さんは、無料で診てあげていた。
困っている人に、施しぐせがある義父に対して
「そこまでしなくても!」と、周りは思っていたようだが・・・。
それ位、求めてくる人に対して面倒見が良かった。
また、自然治癒の観点から漢方のライセンスも取得し、
漢方を処方して患者さんに出していた。
「温泉と漢方」で人間が持つ治癒能力をアップさせ、
自の手で健康体を作ることを目指していた。
選手の頃、俺は大事な試合の前日に風邪を引いてしまった。
義父に診てもらったが、
「熱い風呂に入って寝ろ!」という言葉をもらっただけであった。
「それで大丈夫なの?治るの?」と首をかしげながら帰った事を覚えている。
結果はセーフ!!
試合には無事出場でき、優勝した。
マジックであった!
現在、風邪も引かずに仕事に没頭出来るのは、
まぎれもなく義父からのアドバイスのお陰だと思っている。
義父さんとはたくさん会話した覚えはなかったが、 (お互い忙し過ぎた)
俺を陰から黙って応援してくれているのを、事あるごとに感じていた。
「ありがとうございました!」
また、義父さんは、真の匠的な赤髭先生だった。
経営には全く無頓着であったと聞いている。
でも、そこが人間らしくて素晴らしいと思うけど・・・。
人にばかり施し過ぎて、遂に疲れちゃったのかも知れない?
だから、義母さんに甘えたくなったのかもね!
「10年と2ヵ月は、ちょっと甘え過ぎですよ!」
棺の中に安らかに眠っている義父さんを見ると何も言えなくなった。
最後にお義父さんに一つお願いがあります。
「10年もの間、献身的に看護してきたお義母さんをのんびりできるように、
見守ってあげて下さい!」。
そして、どうぞ「安らかにお休み下さい!」
投稿者 西尾茂之 12:29 | コメント(0)| トラックバック(0)
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