2006年07月26日
住友軽金属テニスチーム
25日火曜日18時に
地下鉄南北線の六本木1丁目駅改札口で集合がかかった。
幹事は、坂井利郎さん(日本テニス協会理事)であった。
18時5分前に俺が到着したときには、
すでに渡邊功さん(日本プロテニス協会理事長)、
神和住純さん(法政大学教授)、
平井健一さん(フィットリゾート支配人)、
そして待鳥明史さん(彼は現在、住友軽金属工業株式会社の
総務部長兼、もう1人の幹事でもある)
は既に待っていた。
今日の集まりの主旨は、
渡邊康二さん(日本テニス協会専務理事、住軽商事監査役)
がついに仕事から勇退されることになり、
それを祝おうということで、
元住友軽金属テニスチーム全員集合となったわけである。
現地、住友ビルの43階?の素晴らしい眺めのレストランの個室には、
小西一三さん(松下興産、元役員)はすでに来られていた。
主役の渡邊康二さんもそろい、
会がスタートをきろうとしていたが、
坂井利郎さんが、いつものように遅れて登場した。
幹事であったので大ヒンシュクであったが、
何故か真面目に怒れないムードが全体に流れ、
会がスタートした。
この会に出席している全員が全日本のタイトルをもっている。
タイトル数は50を越すのではないか?
こんな面々が揃うことは、
これから先もないのではないか!
俺が最年少の52歳。
渡辺功さん、小西一三さんが63歳で長老か?
昔、住友軽金属工業株式会社に入社することが、
テニスプレーヤーの憧れであった。
早稲田大学庭球部でインカレのタイトルを取って、
住軽金に行くことでテニスエリートの道が出来上がっていた。
でも、俺が住軽金テニス部の最後のプレーヤーであった。
おかげ様で不景気にもかかわらず、
入社してからすぐにヨーロッパ遠征も2回させてもらった。
ここに集まった8人すべてが住軽金にお世話になり、
また、それに見合うだけの活躍もし、
日本のテニス界をずっとリードしてきた。
テニス界の歴史は住軽金テニス部の歴史と
オーバーラップしているところが、
確実にある誇らしい部であったことを
みんなの話を聞けば聞く程、ひしひしと感じる。
途中から住友軽金属桝田和彦社長も
参加して下さった。
俺はしゃべることもままならないペイペイ。
でもそこにいることの心地良さを
体全体でずっと感じた5時間であった。
この時間は短くあっという間に過ぎ去った。
また、理由を作りみんなであつまりたいな!
とつくづく思った。